予定表 -詳細情報-

件名 (早稲田)5・30リッダ闘争四十周年・丸岡修獄中死一周忌
開始日時 2012年 5月 30日 (水曜日)   19時00分
終了日時 2012年 5月 30日 (水曜日)   21時00分
場所 場所:日本キリスト教会館4F(早稲田)
連絡先 nemupiro@ezweb.ne.jp
詳細 ////////////////////////////////////////////////

5・30リッダ闘争四十周年

丸岡修獄中死一周忌 交流会へ


 ◆日 時:2012年5月30日(水) 19:00~21:00

 ◆場 所:日本キリスト教会館4F(早稲田)
  東京都新宿区西早稲田2丁目3-18
  http://www.hoshien.or.jp/map/map.html

 ◆参加費:1.000円(飲食持込大歓迎)




 来る5月30日は、1972年、パレスチナ解放闘争の中で、3人の日本人青年、奥平剛士、安田安之、岡本公三同志、が命を賭してリッダ空港作戦を闘ってから、40周年に当たります。

  彼らは、自分たちの闘いを、パレスチナの子供たちが故郷に帰還する闘いに引き継がれると願い、パレスチナ解放闘争の戦士たちが自分たちの国を開くまで続けるだろうと信じ、そして、世界中の人々がパレスチナ解放闘争へ引き続き支援強化するだろうことを念じて、決死の闘いとしました。


故安田安之さんと故奥平剛士さん

  彼らが闘った当時、欧米の新植民地主義者たちは、中東の資源と市場を独占する為に、イスラエルを中東支配の尖兵と任じて「パレスチナ人など存在しない」とシオニストの言葉をそのまま喧伝していました。この闘争に驚愕したイスラエルと世界中のマスコミは、「冷血のテロ作戦」だとして大々的な非難キャンペーンを繰り広げました。日本政府は、国際世論に応える口実で、イスラエル政府に「弔慰金」を支払いました。

  しかし、そんなまやかしの「国際世論」は、この40年の間に歪みを拡大し続けてきました。9・11以降は、「反テロ戦争」の掛け声の下にイラクやアフガニスタンへの破壊侵略戦争を支える強盗集団の野望実現の政策論理へと最大級に拡大されます。拡大された分、戦争と収奪を正当化する焦りが地域の人々への大量殺戮と住民社会の破砕として続けられます。

 全く正義性の無い侵略統治に加担派兵した日本を含む欧米諸国は、その戦渦責任と自国の退廃した政治土台の修復に追われています。やがて、人類の歴史は、この繰り返し続けられた犯罪の根源は、パレスチナで行われている虐殺行動と同類であることを明らかにし、犯罪者たちの野望の何たるかを暴き、決して許さないでしょう。

  さて、リッダ闘争の3人の日本人青年は、闘争に臨むに際して、自分たちの死を悼まないで、「葬列ではなく祝祭をこそ!」という遺志を残しました。そして、リッダ闘争から40年、世界各地の闘争の中で多くの戦士たちが殉教し続けました。その中には、1976年に囚われていたヨルダンで獄中自決した日高同志、2002年にイスラエルのパレスチナ・ガザへの無差別攻撃に抗議して焼身自決した檜森孝雄同志、そして、昨2011年、治療放棄した八王子医療刑務所で獄中殺害された丸岡修同志たちの墓標が並びます。更には、戦いを共に担ってきた同士の多数は未だ獄中にあり日々の苦闘を強いられています。


逮捕直後の重信房子さん

  私たちムーブメント連帯は3戦士そして亡くなった同士の遺志に沿い、また囚われになっている同士の意思に沿って、皆さんと一緒に、5月30日の記念日を交流会として祝いたいと考えます。

 多くの皆さんが誘い合って参加して下さることを願います。

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主催:ムーブメント連帯
nemupiro@ezweb.ne.jp
080-6586-3115(相場宛) 090-7213-5131(足立宛)

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(参考)日本赤軍とは?

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現代の拷問 ― 施錠された独房の中での苦悶死
-獄中医療と丸岡修さんの死-


 弁護士 大 谷 恭 子



●獄中医療

刑事施設に身体を拘束されるのは、それぞれの目的及び処遇の原則に応じてなされている。たとえば判決前であれば罪証の隠滅と逃亡の防止、刑の確定後は懲役刑であれば、改善更正の意欲の喚起及び社会生活に適応する能力の育成、が処遇の原則とされている。よってこの原則を越えて苦痛を与えることはできない。

この点において特に問題になるのは、医療である。社会にいれば自分で病院や医師を選べるが、刑事施設においては原則として刑事施設内の医療に頼るしかない。ところがどこの刑事施設も医師が不足し、また徳島刑務所のように、医師による虐待行為が発覚するなど、医師のモラルも医療水準も問題である。

施設内医療の何よりの問題は、密室内での医療であることである。被収容者は医師を選べず、医師に従属するしかなく、しかも医療行為は密室の中で行われる。しかも医師が不足しているのであるからおのずと医療現場は荒廃する。これを打開するためには、医師を定足数まで集めることはもとよりのことだが、外部の医師の目を内部に届けることである。社会の一般医療水準を知り、被収容者も自分のカルテの開示やセカンドオピニオンを求めることができることによって、密室化する医療行為の水準を上げることができる。

また医療上の要請が、処遇に従属しがちになることも問題である。たとえば精神的に不安定の被収容者がこれを訴えると、施設は「施設の安全配慮と自殺防止」の観点から、雑居から独居に移し、24時間監視カメラをつけたりしてしまうこともある。これは本末転倒であって、処遇と医療の混同があると言わざるを得ない。医療上の要求が何らかの処遇上の措置や対応が必要であるならば、医師の判断でなされるべきであるが、医師も処遇の意向をうかがってしまい、それが保障されていないのである。

刑事施設法は、医療の原則として「社会一般の医療の水準に照らし適切な医療上の措置を講ずるものとする」(62条)と規定しているが、社会一般の医療水準には到底達しているとは言えない。これを補うために2006年改正であらたに外部の医師を自分の主治医として指名し、往診を認める「指名医」の制度が導入された(63条)のであるが、施行から5年で認められた件数はごく少数である。

これは制度を設けたものの、社会ですでに受診していた医師でなければならず、要件が厳しかったこととあるいは自費診療によることにもあったかもしれない。そこで2011年度の5年目の見直しに際し、少なくとも「既受診医師」の要件を緩和する方向で検討されている。私はもっと指名医として外部の医師が施設内医療にかかわってもらいたいし、より抜本的には、獄中医療を厚生労働省管轄にし、社会一般の病院と同じように、保険適用も含めて抜本的に制度を作り直す必要がある。

●刑の執行停止申し立て―丸岡修さんのこと

施設内で病気になったら、何が何でも施設内で医療を保障しなければならないわけではない。適宜外部の病院を利用すればいいし、刑の執行を停止し、一般病院での治療に任せるしかないこともある。刑事訴訟法は、少なくとも、刑の執行によって生命を保つことができない恐れがある時は刑の執行を停止する、と規定している。

丸岡修さんは、1987年、70年代の2件のハイジャック事件に関与したことで逮捕され、2000年に無期刑が確定し、宮城刑務所で受刑していた。彼は1996年肺炎から危篤に陥った以降慢性心不全とされていたが、これが拡張型心筋症であったことが2004年ようやく判明した。

拡張型心筋症は不治の病だ。少しずつ心臓のポンプ機能が弱ってくる。但し癌のように余命予測がわかるわけではない。いつ心臓発作が起きて止まってしまうかもしれないし、あるいは上手に薬を調節し、日常生活を管理し、心臓に負担がかからないような延命的治療をすれば生き延びることができる。それは循環器の専門医のいる病院に入院しての治療でなければ不可能だった。

彼は何度も死線をさまよい、普通の人であれば乗り越えることが困難な危機を、並外れた精神力で乗り越えてきた。しかし、次第に、呼吸困難が常態化し、酸素吸入を外せなくなり、腎不全による排尿不全により全身がむくみ、立つことはおろか話すことも困難になった。毎晩呼吸困難に喘ぎ、特に医療従事者が手薄になる夜間は、鍵のかかった独房の中で、死の恐怖と闘っていた。緊急に助けを求めるブザーは立ち上がらなければ届かず、緊急時には役に立たない。肉体の痛みに対しても心臓への負担を理由に痛み止めすらもらえなかった。

私は、2004年以降医療上の代理人として刑事施設と交渉し、2007年からは6次にわたって彼の刑の執行停止を申し立てた。循環器の専門医のいる病院への入院治療を求め続け、2008年第3次の執行申し立て時以降は、外部の専門医による病院での入院治療が不可欠であるとの複数の意見書、入院承諾書も添えて申し立てをした。

最後の申し立てとなった2011年4月22日の第6次の申し立てでは、家族は彼のために最後の治療方法として心臓移植もしくは人工心臓による治療を希望し、そのための受け入れ病院および指名医の用意もあることを申し立ての理由とした。申し立て後も刻々と容態は悪化し、さすがの八王子医療刑務所も5月9日には重症指定し、指名医を受諾した医師は、数字上表れている彼の容態から5月一杯持つかどうかを危ぶみ、最早一刻の猶予もできないと家族に警告していた。

この指名医の見解を八王子医療刑務所も否定できなかったにもかかわらず、申立ては受け入れられないまま、5月29日、彼は家族にも友人にも看取られることなく、獄死した。

2004年以彼の病状の進行を見てきたものとして、特に2010年12月以降の病状は深刻だった。医療に疎い私でも彼がいかに危機的状況にあるかを理解できた。このような状態になった人に対して、刑の執行をし続けることの意味があるのだろうか。刑務所は、すでに2011年3月末には、刑の執行停止を判断する東京高検からの病状照会に対し「作業や指導といった受刑者としての矯正処遇に復帰できる可能性はない」と回答しているのである。

家族の最後の頼みの綱であった指名医の許可も、医師の承諾書が八王子医療刑務所に届いたのが5月9日、本人も家族も指名医の往診を心待ちにしていたにもかかわらず、生前は結局許可されず、29日遺体を引き取りに行った際、翌30日に本人に指名医許可を告知予定であったと聞かされた。指名医を許可するのに、なぜ3週間も内部手続きに要したのか。条件はすべて整っていたのだし、所長の判断一つだったのだから、せいぜい2~3日もあればできるはずではなかったのか。

確かに刑の執行停止は裁量行為である。しかしこれは無条件に、停止するもしないも執行権者の勝手というわけではない。死を目前にしたものまでも刑を執行し続けることに何ら合理性も合目的性もなく、非人道的ですらあり、裁量の範囲を逸脱している。しかも、何ら明確な基準を示されることなく、彼の罪がハイジャックという事件の性格あるいは日本赤軍であることから報復的な恣意的な運用があるとしたら、そのこと自体で違法である。

そして、拷問禁止条約は精神的心理的苦痛を与えることも拷問であると定義しているのであり、かような、十全な医療が保障されないことによる肉体的苦痛に加え、独房で一人死の恐怖と闘わざるを得ないという精神的苦痛を無用に与えていたことは、もはや拷問であったと言わざるを得ない。

●亡き丸岡修さんへ

私がはじめてあなたと会ったのは重信房子さんのために証人として出廷してくれた時でした。あなたはすでに体調が悪かったにもかかわらず、それも顧みず、長い証人尋問に耐え、誠実に、緻密に、多少細部にこだわり過ぎると思われることもありましたが、でもそれらが全て根拠に基づくもので、裁判長も苦笑いしながらも良く聴いてくれていました。

後日、当時の裁判長に弁護士会主催のパーティでお会いした時に、あなたのことを気遣いながら「軍人でしたね」って言っていましたよ。あなたの証言は決してあなたのアラブでの華々しい軍事経験を語ってもらったものではなかったので不思議に思いましたが、きっとあなたの法廷での、今時は珍しくなった折り目の正しさや、病気であっても我慢強く、もちろんその抜群の緻密さを評してのことだったのでしょう。

拡張型心筋症であることが分かってからも、あなたは自分の病状に冷静に向き合い、細かく病状や医療情報をデータ化し、失神しそうになっても流れてくるラジオ放送で時刻を記憶しようとする(房内には時計がありませんから)、その精神力に圧倒され続けました。そのあなたが「もうもたない」「Help me!」と弱音を吐くようになったのですから余程のことでした。

あなたは若いころアラブでパレスチナの人々との共同闘争で囚われ、拷問を受けていましたね。アラブでの拷問は、それはひどいものだと聞いています。それでもあなたはそれに耐え、敵方からもあなたの強靭な精神力が評価されたと、伝説的に聞いていました。そのあなたが、呼吸困難、排尿異常による全身のむくみ、心ない痛みを伴う治療行為に悲鳴を上げ、あの拷問以上の苦痛だ、もうこれ以上耐えられないと率直に訴えてきました。どんなにつらかったか、痛かったか、心細く不安だったか、と思うと胸が苦しくなります。

私の最後の接見となってしまった5月13日も、もうすぐ指名医が来るから、絶対に待っててね、往診してくれたらその医師があなたをすぐにでも自分の病院に連れて帰るって言ってくれるはずだから、もう少しの辛抱だからって、声をかけたとき、やっと少し笑いながら頷いてくれましたよね。いつも、いつも、こんな時思うのです。この遮蔽板が邪魔だって。時折せき込むあなたの背中をさすってあげたい、ほらこんなになってしまったとサンダルからはみ出すくらいにむくんでしまった足を見せられても、遮蔽板のこっちじゃ、なんにもできない、もう少しだからって、手を握ることも出来ない。

覚えていますか、2004年青梅の病院で外部治療を受けたとき、あなたを病室に見舞い、チャンスとばかりに握手したことを。本当はアラブ式にハグしたかったのだけど、慣れてないことはできないね。お茶目なあなたも、お昼に配膳されたお茶を取っておいてくれて、私に振舞おうと思っていたのですよね。受刑者にお茶を振舞われた稀有の存在になるはずだったのに、あなたはそれを忘れてしまって、悔しがっていましたね。あなたの左手はベットに手錠でくくられて、病室には二人も私服の刑務官が立ち会っていたけど、それでも普通の病院での入院生活に、やっと少し楽になれたのですよね。でもそれも2週間で打ち切り。すぐに医療刑務所に戻されてしまいました。

間に合わなくてゴメンネ。みんなウソになっちゃってゴメンネ。何とかあなたを妹さんと仲間のところに、たった1日でもいいから帰してあげたかった。一人で死んでいくことだけはないだろうと、それだけはまだ信じていました。5月29日、遺体を引き取る時、刑務所から「危篤にあげる暇がなかった」「容態が急変した」って聞かされたけど、嘘ですよね。

5月13日、あなたと接見した後、私は妹さんと一緒に医務部長に面談しました。そのときに私は、指名医を受諾した医師が5月一杯だろうと言っているのですが、とおずおずと聞いたのです。そんなことないですよ、と否定してくれるかと思ったら、医務部長は黙って頷いたのです。だから、この病気の最期はどうなるのか、思い切って聞きました。彼は血が廻らなくなって、多臓器不全に陥る、と説明してくれました。尿が出なくなるのも腎不全であり、その予兆であると。

もう再々再度尿が出なくなった5月26日、医師がその異常に気付いたせめて27日朝に危篤である、危ないと所長にあげてくれていたら・・・妹さんに連絡され、やっと遮蔽板のない病室で、妹さんに抱き締められ、家族に看取られる普通の死を迎えることができたはずだったし、そして、その時は私も高検と裁判所に、ラストチャンスだからと、せめて一晩だけでも執行停止をと掛け合って・・・さすがに停止の可能性はあったはずです。

もう30年以上も前のアラブでの肉体的拷問以上の苦しみを与えたこの日本という国に、いいえ、抽象的な国家ではなくその国家行為を支えた一人一人に、事実を調べもせずに執行停止などあり得ないと断言した東京高検検事、指名医の許可告知を遅らせた八王子医療刑務所所長、せめて27日に危篤と診断するべきだった医務部長―それら各個々人に満身の怒りをもって抗議します。それがせめてのあなたへの供養だと思うから。

カテゴリー 関東地方の行動案内
投稿者 tmorish
レコード表示 公開
繰り返し
最終更新日 2012年 5月 26日 (土曜日)




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