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第9話 野良仕事

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第二章 入植

 第九回 野良仕事


三里塚での野良仕事風景(70年代) GHQによる農地改革は一九四六年三月一五日から、一次・二次と相次いで実施された。千葉県三里塚の下総御料牧場は、その一次で解放されたものである。だが武治ら組織するむしろ旗一揆は、それに先立って次から次へと御料地を実カで占拠していった。結局、四〇〇〇ヘクタールの御料牧場が一〇分の一を残して、解放されることになったのだ。開拓者は歓呼した。食料不足のときゆえ近隣の市町村からも土地を求めて、三里塚に集まる者が現われた。このチャンスに農業で身を立てようと、農業に全く未経験の者までが入植を希望して集まった。

 しかし、復員した農家の次、三男を優先的に入植させるのが、県の方針だった。一、二ヘクタールの配分を受けて入植した者が、木の根たけでも六〇世帯いた。木の根・天浪・東峰・古込・本城など合わせて、七〇〇世帯余りが入植した。地価は一〇アール九〇円だった。

 だが農業というものは、「食料がないから」、「土地が安く手に入った」、ただそれだけの条件で経営が成立するものではなかった。そんなことで長続きする農業でないことすら、殆どの入植者は知らなかった。真の農民として生き抜いていくには、幾多の苦難が前途に横たわっていた。
 事実入植生活は日増に苦しくなっていき、不安は日々に、募るばかりだった。こんなことなら、初めから土地など持たねばよかったと、後悔の念にかられる者さえ出る始末だった。やっと希望の土地が手に入った喜びも束の間、厳しい試練の時がやってきたのである。
 農民でありながら食料がなく、種芋、馬鈴薯、薩摩芋、落花生まで食いつくし、播種期になっても蒔く種がなかった。慌てて生家や親戚へいって、種を借りるという始末だった。どこも借りるところがない者は、一年の収穫も得られず、早くも出稼ぎや土地を切り売りする者さえ現われてきた。開拓者に芽生える心の惑いは、どうすることもできなかった。

 一年たっても彼等はランプで過ごした。井戸は自分で掘ったものの、旱魃(かんばつ)で、見るまに涸れてしまって用をなさなかった。木の根の原を越えると谷間があり、菱田部落に通じる田んぽの畦道があった。畦道を過ぎ、坂道を登って少しいくと、杉林の向こうに菱田部落が見える。そこまで一キロもある距離をバケツを下げて、水を貰いにいった。
 細い道を下っていくと崖際と水田の間を縫って一本の「みよ」(溝)が流れていた。その一部に清水の湧く場があって、澄んだ冷たい水が溜っていた。
 ある日、田んぼに田螺(たにし)や土鰌(どじょう)を獲りにいった開拓者の山田一夫が、この清水を発見し、毎日朝早く、こっそりと清水を運んでいた。だが、いつとはなしに清水の在所が知れ、誰もかれもがそこを狙って水汲みにいくようになった。それからは、清水も濁って量も少なくなってしまった。人一倍、朝早くいった者でなければ飲み水は取れなかった。
 武治は説子にバケツで土を釣り上げさせて、井戸を掘ったが、その井戸も間もなく涸れてしまった。木の根の原で、何よりも不自由したものは水だった。そんなわけでお互いに助け合って、深井戸を掘る者も出てきた。

 水が何とか満たさたれとしても、食料の欠乏は相変わらずだった。
 武治は長い芋掘棒を担いで、よく周辺の野山に山芋掘りや山菜を採りに出かけた。武治ばかりでなく、よく籠を手に下げた入植者の男や女子供の姿を見かけた。
 その頃、まだ下総高原の山野には四季を通じて、春には蕨、芹、山独活(やまうど)、たらん棒の芽、筍、秋には山芋、茸、山栗などが採れた。結構、夕餉の食膳を賑わす山菜料理もできたのである。
 田んぼに下りていけば、土鰌、田螺、蝗(いなご)に蛙や蛇が手掴みで獲れ、鉄砲があれば森林では野兎、山鳥を射止めることもできた。
 彼等は何も好き好んでそうしたわけではなかった。生きるためには、食える物は何でも獲って飢えを凌がねばならなかったからだ。

 苦しい開拓の仕事を、降っても照っても続けなければならなかった。一年たっても開墾は遅々として進まなかった。広い原野の開拓は並大抵ではなかった。薄(すすき)や萱(かや)が生い茂り、その上、根株が地中を走り、切り開く作業は重労働だった。手に血豆を作り、腰を伸しながら一鍬一鍬掘り起こすのであるが、鳶鍬の刃も欠けるほどだった。時には一日に何回も鍬の刃を磨がねば、土中に通らなかった。
 トラクターはなかったので、全くの人カによる開墾だった。遠い行手を思うと心細く、気が遠くなる思いだった。

万能鍬(まんのうくわ) 今日も武治と妻の説子は、せっせと荒野を切り開いていた。傍では土に戯れて真黒になった二人の子供が、無心に走り回っていた。
 説子は武治の切り返えす土を万能で丹念に打ち砕きながら、雑草の根をすぐり出し、熊手で掻き集めては積み上げた。この土ならしの仕事も説子にはきつく辛くて、武治の後についていくのが容易なことではなかった。説子は足腰が痛んで堪えられなかった。それでも手を休めることはできなかった。雑草の根はうず高く、いくつも点々として積まれ、それを焼く煙が青空高く舞い上がった。木の根の各所で燃やす煙が幾条も立ち上った。それが天空で拡がり合って、太陽を暗くするほどだった。

 午前中いっぱいあらく(荒起)を切ると、午後は土塊を砕いて畦を立て、その中に雑草を焼いた灰をまき散らした。そして、野山から雑草を苅りとってきてはそれを敷いたりして肥料にするのである。畑に仕上がった先から種を蒔き始めた。
 野良仕事は終日臥せがちで、腰が痛くなった。説子は腰を伸ばしては、畑の前方を見た。耕す荒地はまだ遠く、松林の際まで続いていた。

「父ちゃん、いつになったら向こうの端までいきつけるかしら……」
「もう半分はきたんだからな……焦ったってしょうがねえよ」
 武治は畦を切る手を止めず、説子をかえりみようともしなかった。武治夫婦は毎日のあらく切りに、夜はくたくたに疲れ果てて、小屋の中でけもののように眠るだけだった。ひどい雨降り以外は、毎日野良仕事に精を出さねばならなかった。来る日も来る日も何の変化もない、単調な生活に説子は耐えられない佗びしさを感じるのだった。

「父ちゃん、こんな暮らしを毎日するなんて、もうつくづく……いやになった!」
 武治は説子を睨むようにみつめると、鍬を動かす手を止めて、いった。
「何をいってんだ。ここで挫けたらどうなる。木の根のもの笑いだど……」
「開拓ってこんなに苦しいもんと夢にも思わなかったわ」
「今からそんな弱音を吐いてどうする……しっかりしろ」
「私はもの笑いになったっていいから、もう父ちゃんにはついていけないわよ」
「何の泣きごとを今さらいうんだ。説子あれ見ろっ」
 武治は隣りに荒地を耕す従兄弟の龍崎進夫婦を指さすのだった。彼らは今日も朝からあらく切りに余念がなかった。龍崎進も辺田部落の出身で長い軍属生活をしていた。武治と同じに敗戦で郷里に帰り、木の根に入植したのだった。妻のかず子は東京の下町育ちで、百姓仕事は根からの素人だった。しかし、進について毎日慣れない野良仕事に従った。
 龍崎進の小屋は、武治のすぐ目前の高台にあった。
「お前がそんな泣きごとをいうようじゃ、この俺だって気が挫けるじゃねえかよ。何をいってんだ、説子」

 そんな武治夫婦の語が風向きで届いたか、その時、かず子がこちらをチラと見た。と、説子に声をかけてきた。
「説子さん、随分、精が出るわね」
「うん、そうでもないのよ。今、父ちゃんと口喧嘩してたところなの」
「あらまあ、そんなに仲のいい夫婦が……」
「もう私は精も魂もつきてしまって、父ちゃんにはついていけないっていったのよ、かず子さん」
「あら私だって同じよ、百姓仕事なんて生まれて初めてだし、これで一生暮らすなんて考えたら、いっそのこと死んだ方がましだわよ」
「世が世だからこんな所で百姓をやる気になったんだけど……木の根の原っぱで百姓になるとは、夢々考えてもみなかったわ」
「本当に……、私だってそうよ」
 その時、傍で武治の怒鳴る声がLた。
「何をしてんだい。夕方まで種まきが終んねえどー」
 弾き飛ばされるようにして、二人は立ち上がり、手を動かし始めた。

 夕陽が赤々と西の空を染めた。烏の群が一際喧しく鳴きながろ頭上を過ぎていく。
 武治夫婦は茜色の空を見上げて、烏の群を追った。
「何か不吉なことでも……」と、説子か呟いた。

次回、「旱魃(かんばつ)」へ続く


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